ポイヤックの人気シャトー、シャトー・ピション・ロングヴィル・バロンとシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドが実は1つのシャトーだったというのは有名な話です。
1694年、ボルドーの名士でボルドー議会の議長を務めたジャック・ピション・ロングヴィル氏とポイヤックとサンジュリアンの中間に位置するサン・ランベールに40にも及ぶ区画を開拓したローザン氏の娘が結婚してから、このブドウ畑の名声は高まっていき、その後3代にわたりロングヴィル家はワインを造り続けます。
1850年、当時のオーナーが亡くなり、シャトーは二つに分割されます。その片方の土地がシャトー・ピション・ロングヴィル・バロンであり、これは長男のラウル氏が引き継ぐことになります。もう一方の土地は3人の娘が相続する事になり後のシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドへと繋がっていきます。
既にこの時点で彼らのワインは市場で高い評価を得ており、1855年のパリ万博では両シャトーとも2級の格付けを得ることになります。
1933年に売却されるまでピション・ロングヴィル家の男系で管理されたシャトーであったため、いつしか「バロン=男爵」と呼ばれるようになり、1933年からはブーティラー家がシャトーを所有する事になりますが、彼らは資金難に陥り、1960年代から70年代にかけて、ワインの評価が一時的に低迷してしまいます。
ロバート・パーカー氏は自身の書「ボルドー第4版」では
「1950年代、1960年代はスランプだったが、その後、ピション・ロングヴィル・バロンは驚嘆に値する回復を遂げ、特に1986年以降は一貫して最高級のワインをつくっている。現在の品質レベルでは一級への昇格は許されないだろうが、血統以上の出来は見せているためスーパーセカンドと呼ばれることも多い。一級との価格差を考えると、ボルドーのトップクラスの格付けワインとしては良好なお買い得品である。」と評価しています。
その言葉通り、一時的に低迷したシャトー・ピション・ロングヴィル・バロンの評価ですが、1980年代に入ると変化の兆しが見え始めます。
1987年にフランスの大手保険会社アクサ社がシャトーを買収します。
彼らは新たにアクサ・ミレジム社というワインの投資に特化した会社を設立し、その代表としてシャトー・ランシュ・バージュのオーナーであるジャン・ミッシェル・カーズ氏を就任させます。カーズ氏とセラーマスターであるジャン=ルネ・マティニョン氏は二人三脚で、潤沢な資金の下で改革を推し進めます。
庭園や迎賓室が完備された現在のシャトーは、パリのポンピドゥー国立芸術文化センターと共同で設計が行われました。伝統的な建築様式に加え、最新鋭の芸術的知見を取り入れたものとなり、この建築物は世界的にも高い評価を得る事になります。
同時に、最新鋭の醸造設備の敷設、ブドウ畑の排水設備も整え、1990年ヴィンテージでは、姉妹シャトーであるシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドの評点を上回る出来となりました。
2001年カーズ氏は引退しますが、後継者クリスチャン・シーリー氏の下で様々な改革が続けられていき、その品質を代々守り続けています。
2010年には当時の最新鋭の技術であった、光学式のブドウ選別装置が導入され、より一層高い次元で選果が行われる様になり、加えて2012年ヴィンテージからは、2つ目のセカンドラベルであるレ・グリフォン・ド・ピション・バロンがリリースされます。
ワインごとに個別の認識番号が付与され、ワインの真贋やそのワインがどこで最初に販売されたかを追跡できるシステムも構築、さらには「自然環境に配慮した栽培と醸造」を目指す組織「テラ・ヴィティス」の認証を受けているだけでなく、環境マネジメントシステム規格の「ISO14001」を取得するなど、環境に配慮したワイン造りを体現する数少ないシャトーです。
また、メルロ主体のレ・トゥーレル・ド・ロングヴィル、カベルネ・ソーヴィニョン主体のレ・グリフォン・ド・ピション・バロンという2種類のセカンドラベルを造っているという点も、ボルドー全体を見回しても非常に珍しい事例です。2つのセカンドラベルがシャトー・ピション・ロングヴィル・バロンの品質向上に一躍買っただけでなく、その哲学が確かに反映されており、彼らの個性を楽しむことができます。
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