ベストセラー『世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン』、『高いワイン』著者の渡辺順子氏による企画連載も今回で最後です。第4弾のテーマは『ブルゴーニュワインの最高峰』。世界中のワインラバーが愛してやまないブルゴーニュ、その頂点にあるワインとは?
ボルドーと双璧をなす銘醸地 ブルゴーニュ
ブルゴーニュは、ボルドーと並び世界が誇る最高峰のワイン産地です。同じフランス国内に存在する両産地ですが、地理的には600キロ以上の距離があり、ワインの味わいはもちろんワインの歴史、醸造の法律なども大きく異なります。それぞれで独自のスタイルを生かしたワインが造られているのです。
世界中のワインラバーたちも大きくブルゴーニュ派とボルドー派に分かれますが、ブルゴーニュ派を引き付けるその魅力の一つに“個性的な造り手”の存在が挙げられます。ブルゴーニュの場合、たくさんの造り手が同じ畑を共同で所有していますが、同じ畑で育ったぶどうでも造り手によってワインの味わいは異なり、その評価・価格も大きく変わってくるのです。造り手の手法や力量が大きく影響されるのがブルゴーニュのスタイルだと言えます。
また、一つの畑を複数の造り手で所有するために生産量が少なく、なかなか市場に出回ることもありません。この希少性の高さもブルゴーニュワインの特徴です。贔屓の造り手のワインがオークションに出品された際には、愛好家たちは惜しげもなく高値で落札します。なかなかお目にかかれないブルゴーニュワインは、どこか神秘的で特別感を抱かせてくれるのです。
現在高値で落札されている数々の特級畑は、11世期から修道院が所有していました。神に捧げるためにワイン造りが継承されてきたブルゴーニュでは、今でも当時の面影を残す光景が広がり、今も昔と変わらず神に捧げる気持ちで醸造が行われているのだろうと感じます。
またこの地では、古くからピノ・ノワールというタンニンが少なく果実味が豊富なぶどう品種を、ブレンドすることなく単一で使用してきました。繊細なピノ・ノワールはテロワール(ぶどうが育つ自然環境)の影響を大きく受けて育ちます。そして、もともと海底の底にあったブルゴーニュ地方は、土壌の養分や鉱物が土地によって大きく異なり、畑ごとに性質の違いが如実に現れることでも有名です。ブルゴーニュワインが他の産地と一線を画すのは、この究極のテロワールで生まれるぶどう(ピノ・ノワール)と独自の世界観を持つ造り手が結びつき、唯一無二のワインが造られているからなのです。
ブルゴーニュの頂点 DRC
ブルゴーニュ地方でもっとも高額なワイン「ロマネ・コンティ」を作る歴史ある造り手がドメーヌド・ラ・ロマネ・コンティ(通称DRC) です。現在DRCは、ロマネ・コンティを含む8つの特級畑を所有・賃借し、そこから高級ワインを造っています。これらのワインの価格は年々高騰しており、オークションでもDRC目当ての参加者で埋め尽くされています。2018年には、申し分ない来歴で出品された1945年産のロマネ・コンティが1本約6000万円で落札され、ワイン史の歴史を塗り替えました。
ロマネ・コンティを含む数々の特級畑は、DRCの所有となる以前はサン・ヴィヴァン修道院やシトー修道院が所有していました。中世の時代、神に捧げるために修道士たちは昼夜を問わずぶどうの栽培やワイン醸造に明け暮れ、王侯貴族をも魅了するすばらしいワインを誕生させたのです。ロマネ・コンティの畑には今も大きな十字架が建てられ、「神から与えられたワイン」「神が造った畑」として、世界に最も影響を与える存在となっています。
こうして修道士たちの手で成長してきたロマネ・コンティの畑ですが、やむなく競売にかけられることになってしまいます。そして、当時の権力者コンティ公が激しい競り合いのすえに見事落札。念願の畑を手に入れたコンティ公は、畑に自らの名前を入れ「ロマネ・コンティ」と命名し、現在に至ります。
その後、コンティ公が所有していた数々の畑は1869年にヴィレーヌ家(現在のDRCの所有者)が買収。1942年には会社組織に変更し、DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)の所有となりました。
現在、当主を務めるのがオベール・ド・ヴィレーヌ氏です。以前、クリスティーズにてヴイレーヌ氏を招待したDRCのレクチャーを開催しましたが、彼の手がぶどう色に染まっていたことが今も印象に残っています。ぶどうを触りすぎて手の色が変わってしまったそうです。「ぶどうは自分の子供だから、常にぶどうを触ってその状態を自ら確認する」という彼の話を聞き、DRCが世界最高峰を維持している理由がわかったように思います。
2018年には、DRCの共同経営者アンリ・フレデリック・ロック氏が56歳の若さで膵臓癌でお亡くなりになりました。アンリ・フレデリック氏はヴィレーヌ氏とともにたくさんの名品を残し、特にロマネコンティやラターシュの1996年、1999年、2005年、2010年、2015年産はワイン史に残る傑作です。これらは毎年価格が上昇し、彼が亡くなった後はより価格が高騰しています。
アンリ・フレデリック氏は、叔母にあたるマダムルロワの哲学である「自然」をとことん追求した人でした。彼自身が所有するドメーヌ「プリューレ・ロック」でも、自然にこだわったぶどう栽培、醸造を行い、化学的な物は極力使用せず、収穫は手作業、発酵は天然酵母とリスクをいとわず「自然派」に徹してきました。このプリウレ・ロックも、現在はオークションでも入手困難な銘柄となっています。
世界最高の白ワイン ドメーヌ・ルフレーヴ
ブルゴーニュのピュリニーモンラッシェ村にて、1717年からぶどう栽培に携わる歴史ある「ドメーヌ・ルフレーヴ」は世界最高の白ワイン生産者と言われます。1990年からドメーヌを引き継いだ3代目の当主アンヌ・クロード女史により、ドメーヌは大きな躍進を遂げることになりました。彼女は、不健康なぶどうの状態を改善しようと努めていた折、当時はまだ珍しかった「ビオディナミ農法」に出会い、体や環境にやさしいワイン 造りを目指しました。ドメーヌが所有する特級畑において化学肥料や農薬を一切使用せず、天体の動きに合わせた栽培法でぶどうが持つ本来の味わいを引き出すことに成功したのです。
化学薬品の使用を禁止したルフレーヴのワインはピュアで透明感があり、まるで体が浄化されていくような独特な感覚を備えます。これが多くの愛好家を魅了し、中でもモンラッシェ、そして3つの特級畑(シュバリエ・モンラッシェ、バタール・モンラッシェ、ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ)は、世界中のルフレーヴファンが高値で落札を繰り返し、一部のマニアしか入手できない幻のワインとなってしまいました。
そんな現状に心を痛めたアンヌ・クロードは土地の安いマコン地区の畑を購入し、一般のルフレーヴファンにも手が出せる村名ワインの生産を開始しました。こうしてルフレーヴのワインは、より多くの人が楽しめるものとなったのです。
数々の偉業を残したアンヌ・クロードですが、残念なことに2015年に他界してしまいました。彼女の人柄を表したようなピュアで曇りのない味わいは彼女しか表現できないと、今もその死を惜しむ声があがっています。アンヌ・クロードが実践したビオディナミ農法への移行やマコン地区での生産など、「世界最高の白ワイン生産者」の地位を確立した彼女の偉業がワイン業界に大きな影響を与えたことは間違いありません。
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