ボルドー地区・ソーテルヌ村は、世界三大貴腐ワインに数えられるソーテルヌの産地。優れた貴腐ワインが生み出されている地で、別格といわれているのがシャトー・ディケムです。
シャトー・ディケムは、1593年、フランスの貴族のジャック・ソヴァージュが所有権及び管理権を与えられ、1788年に当主となったフランソワーズ・ジョセフィーヌによって発展したといわれています。彼女は、フランス革命の煽りを受け2度にわたり投獄を経験しますが、それでも諦めることなくワイン造りに没頭し、品質向上に取り組みました。1996年、大手ブランドグループのLVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)の傘下に入り、現在でもシャトー・ディケムはLVMHグループを代表するワインとして、世界中のセレブに愛されています。
例えば、1784 年にシャトーを訪れたアメリカ大統領トーマス・ジェファーソンは、シャトー・ディケムを大変気に入り、自分の為に 250 ケースを注文したと言われています。また、1800年代にはロシア皇帝の兄弟であるコンスタンチン大公が、シャトー・ディケムの樽に2万フランを支払ったとも言われており、日本でも明治天皇が愛飲し、定期的に注文したそうです。
ところで、18世紀頃のシャトー・ディケムは、既に甘口ワインを作ってはいたものの、現在のシャトー・ディケムとは異なるテイストであったと推察されています。
貴腐ワインは、白ワイン用のブドウに貴腐菌と呼ばれるカビが付着することでブドウの水分が蒸発し、糖度と香りが凝縮したブドウを発酵して造られる世界最高級の甘口ワインです。
当時は、貴腐菌は付着していないか、もしくは付着していたとしてもたまたま少量付いていただけで、今ほどの極甘口ではなかったようです。
しかし1847年、思いがけないハプニングがシャトーに転機をもたらします。
当時シャトー・ディケムを所有していたリュール・サルース侯爵は「自分が戻ってきてからワインの収穫を始めるように」と小作人たちに伝えてロシアに出張に出かけました。本来の収穫期を過ぎても、彼の指示を忠実に守った小作人たちは主人を待ち続けました。その結果、ブドウに貴腐菌が綺麗に付き、素晴らしい甘口ワインが出来たと言われています。
この偶然の発見によって、1855年にパリ万博でのボルドーワインの格付けで、晴れて特別1級の格付けを得る事になります。
その後シャトー・ディケムは一族により経営が引き継がれていきますが、その間にも何度もシャトーに対して大規模な設備投資を行い、品質を更に向上させていきました。
ソーテルヌの格付けにおいてただひとつだけ、格付け最高峰の特別第1級にランクされているシャトー・ディケム。
飲み頃は10~100年も続くとされ、世界で最も著名なワイン評論家として知られるロバート・パーカーは、1996年に1811年ヴィンテージのシャトー・ディケムを味わい、100点の評点を付けたのです。これにより、シャトー・ディケムは抜きんでて長熟が可能なワインとして世界に知られる様になります。
2011年にはロンドンで、同じく1811年ヴィンテージが、75,000ポンド(約960万円)で落札されました。この金額は、この時点までに落札された白ワインの中で最も高価なものでした。
現在でも1811年のシャトー・ディケムは幻のワインの一つと言われており、世界中のワインコレクターが「幾らでも払うので購入したい」と考えている、数少ないワインの一つと言えます。
単なる「高級甘口ワイン」というだけでなく、世界の歴史家や政治家たちを魅了してきた歴史をこの1本から感じ取ることができるはずです。
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